01 しなもん|Cinnamon とは
Cinnamonは、2000年以降、グラフィックデザイナー下山ワタルが、デジタルイラストレーションを描くイラストレーターとして活動していた時のペンネームです。グラフィックデザインと並行しながら、2000年からの約5〜6年間、このペンネームで仕事をしていました。
詩集『のはらうた』シリーズ(詩:くどうなおこと のはらみんな、童話屋・刊)をイメージしたオリジナル作品を描く時だけ、しなもん、とひらがな表記で名乗ることもありました。作品の隅にはサインの代わりに、しなもん=品門からとった「品」の漢字をモチーフにしたロゴを入れていました。
ネーミングに特別な由来はありませんでした。ごく普遍的な存在でありたいと思い、適当にピックアップした一般名詞の候補の中から選んだ名前だと記憶しています。村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』の登場人物や、小沢健二の曲名とも特に関係ありません(たまに尋ねられることもありました 🙂)。デビューのきっかけを作ってくれたペーターズギャラリーコンペにはデザイナーとしての名義で応募しましたが、まさかの受賞後、イラストレーションの仕事を少しずついただくようになり、会社員としての手前、名義を分けておいたほうがいいのでは、というような考えがあったと思います。
会社を離れてフリーランスのグラフィックデザイナーとして独立してからは、名義を使い分ける必要もなくなり、Cinnamonを名乗る機会も自然と失われていきました。現在もKindleなどで読むことができる『100kcal限定 お菓子のカロリーBOOK』(2006、主婦と生活社)のカバーイラストは、デザイナーとしての名前の方でクレジットされています。
詳細なプロフィールは次の記事に回して、ここでは当時描いていたオリジナル作品を、シリーズごとに時間軸に沿って紹介します。作品は全てAdobe Illustratorで、マウスを使って制作していました。
しなもん|Cinnamon 名義で描いていたオリジナル作品
1. Still Life シリーズ(線画)
イラストレーションを始めた頃(1999年頃)は、静物や風景を線画で描いていました。一見複雑そうに見えて、実はIllustratorの長方形・円ツールやコピペなどを用いて、マウスで楽に描けるからでした。むしろ手描きやペンシルを使う方が、美術教育を受けたことのない自分にはハードルが高かったです。
当時通っていたパレットクラブスクール(3〜4期)の課題として描くようになってから、作品の数が自然と増えていきました。
シンプルな線のみで構成する手法は、SUPER BUTTER DOGやPARCOのビジュアルを手がけていた、グラフィックデザイナー東泉一郎さんの影響が大きかったです。
2. Girls シリーズ
友だちのLIVEのフライヤーのために描いた絵が初めての人物画(1999)でした。その頃はグルーヴィジョンズのキャラクターchappieからの影響が大きく、人物というよりキャラクターを描いているような感覚でした。
パレットクラブスクールの講評で受けたアドバイスをきっかけに、生活感のある人物(女性)を描くことが目標になりました。墨(黒)で描いた線画に、テーマカラー1色を組み合わせるスタイルが見つかり、苦手意識のあった人物画も次々と描くことができました。その後、背景に塗りで描いた物の絵も加わり、これがのちのStill Life シリーズ(塗り)へと発展していきます。
このシリーズから応募した作品が、2000年のペーターズギャラリーコンペで「第5回PATER賞」を受賞しました。
3. のはらうた
当時の友人たちを通して詩人のくどうなおこ(工藤直子)さんと知り合い、小学校の教科書にも採用されている詩集『のはらうた』のシンプルで素朴な世界に感銘を受けました。詩から浮かんだカラフルなイメージを、それまで未体験だった塗りオンリー(主線なし)のスタイルで、次々と絵にしていきました。
2021年1月、『のはらうた』の作品をまとめたZINE形式の詩画集『ぼくは ぼく』を刊行しました。
4. Still Life シリーズ(塗り)
複雑なモチーフに興味が移っていき、部屋や机の上にある物、スイーツなどを精巧に再現することに夢中になりました。
NY在住のアートディレクターDeanne Cheuk発行のリトルプレス「NEOMU MAGAZINE」に、当時、作品が2号にわたって掲載されました。
5. モノローグ
人形劇と幻燈のイベントで発表したスライド作品のための連作。Illustrator上で描いた線画のパーツを出力してペンで周辺をなぞったものをスキャンで取り込み、再びIllustratorでトレースするという工程により、手描きと版画の中間のような新しいスタイルが生まれました。ここから展開して、形になった仕事もいくつかあります。
2000年代の終盤には、グラフィックデザインを生活の基盤として優先するという判断のもと、描くという活動(特にクライアントワーク)からは一旦離れていくことになります。
その後も、描くことで対価をいただく仕事は、知人からの依頼に限定して小さく続けていました。2012年にケロポンズの依頼で背景イラストを描いたミュージックビデオ「エビカニクス」は1億回以上再生され(2021年12月時点)、ケロポンズの大ブレイクにともない、思わぬ形で多くの人々に見ていただけることになりました。
0コメント